シンママという選択 震えるほどの決断

結婚10年目で

夫が重度の精神障害を患った。

長男が7歳 

次男が5歳の時の事。

それまで、

とても子煩悩だった夫で、

特に次男はパパッ子だった

重度の精神病 

それは双極性障害のⅠ型

最初は鬱から始まり、

半年ほどで躁に転換

躁状態はあまり長く続かず

2か月前後で鬱状態に戻る。

これが双極性障害のⅡ型の症状

最初はⅡ型と診断され、

1年の大半はほぼ寝たきり 

体温調節がうまくできなくて

真夏でも寒いからと

扇風機やエアコンは

止めるように言われ、

私と子供たちは

汗だくになりながら

我慢し続けた。

鬱の症状が重くなり、

自殺未遂を度々起こした。

その度に長期入院を繰り返す。

年単位での入院、

費用も多額だった。

6年目になった時、

徐々に回復したように思えた。

子どもたちとも、

お父さん明るくなったね と

喜んでいたけど、

実は地獄の生活の始まりだった。

回復したのではなく

躁状態に転換しただけで、

それも、今までとは違う

1年以上もの躁状態

まるで、麻薬でも

やっているかのような

毎日がオラオラ状態

下戸だったはずが、

毎日飲み歩き

飲み代はすべてカード決済

部屋のベッドの足元には

ウイスキーやワインの空き瓶

ゴロゴロ転がり

昼間も遊びに出かける。

このころは、

すでに退職していたので、

時間は有り余っていた。

月のカード決済額

30万・40万はざらだった。

もう貯金もない 

カードは使わないでほしいと言っても

「この家で俺が一番偉いんだ 

ごちゃごちゃ言うな!」

「文句があるなら、

離婚届持ってこい!

すぐにハンコついてやるから 

ほら とってこいよ!」

全身が震えた。

いろんな思いがあった。

何度も離婚を考えたけど、

病気になる前は

とってもいい夫だった。

だから、回復を願って

頑張ってきた。

子どもたちだって、

こんなにも我慢してるのに

病気のせいで、人格も変わり

こんなになってしまうのか

震えが止まらなかった。

子どもがちょっとでも反抗すると

胸ぐらをつかみ、

壁に頭を何度もぶつけ

「貴様 誰に向かって

そんなこといってんだ?」と暴力

気が収まらなければ、

家具や電化製品を

次々と叩き壊した

病院の先生に相談し、入院させた。

Ⅰ型でも躁状態が続くのは

長くても半年ほどが多いのですが、

これほど長く続く躁状態

見たことがありません。

と言われた。

診断もⅡ型から

Ⅰ型に変更となり、

障害年金も3級から

2級に上がった

夫がいなくなり、

家で子供と3人になって

ものすごくホッとしてる

自分がそこにいた。

この1年 苦しかった。

何度も離婚を考えては、

思いとどまってきた

数年だったけど、

この時ばかりは気持ちは

揺るがなかった。

子どもたちに、

「離婚してもいい?」

と聞いてみた。

二人とも 

「全然いいよ 

どうして離婚しないのか

不思議だった」と言われた。

すぐに両親に話し、

弁護士にお願いし

書類を用意して

入院中の夫に話をした。

その頃はだいぶ躁状態も

落ち着き 少し鬱へ

落ち気味だった。

現在貯金が0で、

借金しかない状態

であること、

今までどんなに苦しい思いを

してきたか

この先 また躁状態になったら、

完全に家族崩壊してしまう

ということ

何より、子供たちへの暴力が

許せなかったこと

いろんな思いを話して、

わかってもらった。

離婚後は、夫が作った借金は私が負い、

慰謝料・養育費も要求しない

夫は、精神障害の方たちが住む

グループホームへ

入居することで決着がついた。

正直、借金背負っての再出発は

かなり、非常に、

とてつもなく大変

現在も、決して笑ってはいられない

状況が続いてたりする

でも、あの時の決断は

間違っていなかった

思ってるし、

今、生きているのも

離婚したからなのだと思っている。



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