精神崩壊からの脱出ストーリー 

スタートは幸せでした

結婚して10年は幸せでした。

強いて言えば義父母との仲が円満では

なかったことぐらい(笑)

家族崩壊の始まり

結婚10年目に夫の単身赴任が決まりました。

これが、我が家崩壊のターニングポイント

単身赴任後半年で夫は鬱病になりました。

ほどなく、躁病に転換

診断は双極性障害Ⅱ型

Ⅱ型は鬱病期間が長期で躁病が

間に1か月くらい発生する事を繰り返す障害

鬱の時は、寝たきりの事が多く

躁の時は、世の中で一番自分が偉く

なった気分になるらしい。

最初のうちは、傷病手当を受給できたけど

1年半で終わり。

年単位での入院生活の費用は莫大で

預金を崩さないと生活できませんでした

子どもが二人とも小学校に通いだして

私も働きに出る事ができるようになりました。

その頃は障害年金3級の受給もあったので

入院費も年金でまかなう事ができていました。

ただ、躁病になると浪費が凄く

とにかくいろんなものを買ってました。

行くことがないキャンプ用品

使わない電化製品

着る事がない洋服

そして、毎日飲みに出かける。

支払いはすべてカード決済

カードを取り上げても、すぐネットで

違うカードを作ってしまう。

あっという間に預金は底をつきました。

躁状態が終わるとやっぱり酷い鬱状態が待っています。

お酒と一緒に睡眠薬を飲み

真冬の夜「凍死」を目的にした自殺未遂を

何度も繰り返しました。

夜中に玄関が閉まる音がする恐怖

毎日眠れませんでした。

自殺未遂を繰り返す度に入院

費用はもう、借金するほかありませんでした。

負の連鎖

長男が4年生の時、不登校が始まりました。

次男は2年生。

「お兄ちゃんが行かないなら 俺もいかな~い」

まだ、小学生の子供を置いて

仕事には出かけられず、結局退職

生活の頼みの綱は夫の障害年金3級の受給と

私の実家の援助でした。

それでも、入院費でほとんどがなくなり

ジリ貧です

スクールカウンセラーの先生と定期的に会ったり

私設のカウンセリングを受けて

長男の発達障害が判明しました。

遅れて、次男も検査の結果 

発達障害だと判明

気持ちが沈んでいる時は

本当によくない事しか考えません。

夫の障害の事 子供たちの障害の事

将来の事、生活の困窮 

私、何のために生きてるんだろう

どうしてこんな目にあわされてるんだろう

そんなことを、毎日毎日考えてました。

勿論、何度も自死を考えました。

子供たちを道連れに。

多分、全く笑わない、負の感情しかもてない

真っ黒なオーラを出しまくりな状態

だったと思います。

そんな状態が5年ほど続き

夫が回復し始めました。

(と、思ってました。)

でも、やっぱり躁状態への転換

それも、今まで見たことがないテンション

家の中では毎日のように

「この家で一番偉いのは俺だ!

 口答えするな!」

と大声で怒鳴り

昼は買い物 夜は飲みに出かけ

自分のベットの足元には酒瓶がゴロゴロ

夜中の3時頃には一緒に飲んでた友達が

酔いつぶれたから送れと

電話がかかってきて

私はタクシー代わり

本人は寝なくても平気なので 次の日も

元気に遊び回ります

家にお金がない事を伝えると

いろんなものを 売りに持ち出します

私の服までもなくなりました。

何を売ったって二束三文のそのお金を持って

また飲みに出かけます。

それでも足りなくなると 私の母親にこっそり

電話をしてお金をせびりました。

子どもたちは、そんな父親からは

どんどん距離を置き

部屋から出てこなくなりました。

その態度に腹を立て 子供を怒鳴りつけ

言い返す子供の胸ぐらをつかみ壁に

たたきつけることも

日常茶飯事

この躁状態が1年以上続きました。

病院の医師もこんな例は

見たことがないという程。

双極性障害Ⅱ型からⅠ型への変更となり、

また長い入院生活の始まりです。

まず自分を助けなければ子どもも救えない

私の精神状態はもう限界を

超えていました。

子どもたちもどんな思いで 

そんな私を見ていたことでしょう。

友人が見かねて、カウンセラーの先生を

紹介してくれました。

何度も 何度も先生と会い、

何度も何度も絶叫するほど泣きました。

繰り返し会って、思いを存分に吐き出した後に

先生は少しずつ 私に語り始めたのです。

「~しなければならない」

「〇〇でなければいけない」

「〇〇してはいけない」

そのすべての思いを手放して下さい

現状であなたを苦しめてる

ものはなんですか?

何故そこまで苦しいのですか?

それを手放した時 

どうなると思いますか?

固定観念の呪縛からの解放

私はそれまで、

夫と一緒に障害を乗り越えなけ

ればならない

サポートしなければならない

子どもの為に離婚などするべきではない

自分が頑張って守って

いかなければならない

自分が倒れるわけにはいかない

周りに心配かけてはいけない

平気な振りをしなければならない

笑っていなければならない

がんじがらめ状態でした。

苦しめているもの 

それは夫の障害

子どもたちを苦しめているもの 

夫の障害と、精神崩壊状態の私

それらを手放すことが 自分を、子ども達を救う道

私が今、見放したら夫は

どうなってしまうのかと

ずっと思っていたけど、

今はグループホームもあり

病院と連携しながら自立支援してくれる

場所がある事を知りホッとした。

ホッとしたら、離婚したいという気持ちが

加速しました。

子どもの為にしないと思っていた離婚

子どもの為に離婚したいという

気持ちに変わった。

それを子供に話したら、

悲しむどころか、どうして今まで

しなかったのか不思議だったと言われた。

がんじがらめだった心が 少しずつ緩み始めて

凄く楽になった。

夫が入院して1年後、離婚が成立した。

借金は私が背負い、慰謝料も養育費もなし

それでも、私の心は

「~しなければならない」の

呪縛から解き放たれた。

これで、平穏な毎日が送れる。

一生懸命働いて、笑って暮らしていこう。

そう思っていたけれど、

そんなに甘くはなかった。

負の連鎖は終わってなかった 発達障害の不協和音

アスペルガーな長男 ADHDな次男

兄弟仲は悪化の一途を辿るばかり

自分以外は敵とみなし、

思った事をストレートに言い

自分の言葉が凶器となっていることに

気づかない長男は

自分より弱い次男に向かって

日々口撃をした。

毎日、自分に向けられる言葉の凶器

次男に突き刺ささり

出血は止まらなかった。

反撃に出たところで、

力の強い兄には到底かなわず

ねじ伏せられてしまう

当然のように、次男の精神も崩れていきます。

そして事件は起こります。

ついに、次男はナイフやハンマーを持ち

長男に投げつけ

殺し合いになるかのような喧嘩が始まります。

「殺すなら殺せー!」

小学5年生の子が口にした

恐ろしい言葉

次男の顔つきの変貌ぶりに 私は恐怖を覚え

救急車を呼びました。

でも、救急隊員の方の判断で警察が呼ばれ

次男は児相行きになってしまいました。

長男は自分には全く非はないと主張するし

自分の言葉が凶器だとも思っていない

どんなに話をしても、

彼には理解してはもらえなかった。

2か月近く次男は児相で過ごした。

私は毎日手紙を書きました。

最初のうちは面談は

させてもらえなかった。

児相の相談員の方には、

できれば兄弟別々に生活する

環境を作ってほしいと言われました。

いや、え? 無理でしょう・・・

てか・・・イヤだ。

子どもと離れて暮らすなんて・・・

次男にどうしたいか聞いてみると、

お兄ちゃんの事は本当に大嫌いだけど、

自分の家で暮らしたいと言いました。

何回も相談員の方と話しをして、

食事も別々に 居間にどちらかがいる時は

どちらかが外す

なるべく、意識して顔を合わせないように

それで、様子を見ていきましょう

という事になった。

話を聞いてくれる方々との出会い

その後1年は、毎月1回児相に兄弟で通い

個々にカウンセラーと話しを続け

現在まで酷い喧嘩もないまま

過ごせてる。

本人たちも少しずつ大人に

なっているという事も

大きいかもしれないけれど。

やっぱり、月に1回でも本人たちが

自分の思いをカウンセラーさんに話し続け

「わかってくれる人」

「適切なアドバイスをしてくれる人」

「自分の味方になってくれる人」

母親以外にもいるという事が

とても大きな影響を与えてくれたと

思ってる。

私自身も、児相のカウンセリングの時

話を聞いてもらえていたのが

とても心の拠り所になり、

毎回不安を払拭できてました。

本当に「話す」ことがどんなに大事か

私は何度もカウンセラーさんに

救われてきました。

たくさんの方に思いを吐き出した結果

「話す」こだわりを「手放す」

話しているうちに、自分の心が

整理されていきます。

ぐちゃぐちゃだった心が整理されると

心の中にすーっと風が通り抜けるような

楽な気持ちになります。

今、私が生きているのは

苦しいことを話してこれたからだと

思っています。

あの時、誰にも話せなければ、

今の自分はいなかった。

だから、今現在「苦しい」思いを

抱えてる人がいるならそれを聞いてあげたい。

苦しい事を話すのは、

恥ずかしいことじゃない。

苦しくて泣くのも、

恥ずかしいことじゃない。

誰かに話して、「~しなければならない」事を

手放して本来の自分を取り戻す為に

誰かに話す。

きっとあなたも

話したら、笑って明日を迎えられるようになる。

こうして、私が今も笑って生きているように。



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